五箇山菅沼合掌造り集落から車を走らせ15分余り
次の目的地「五箇山相倉合掌造り集落」へやってきました
集落の入り口で集落の保存協力金として500円を支払います
さすがにこちらは少し人気の観光地、団体客を載せたバスも来ていました
まずはそんな団体客の後ろについていき相倉集落の全景が撮影できるスポット
駐車場の上の坂道を昇り「相倉集落展望台」へ
次は集落を見て回りますが、ここには23棟の合掌造り家屋が現存し生活が営まれているのだとか
集落に入りまず見えてきたのが「勇助」と「庄七」と言った宿
そうここは泊まれる合掌造り集落
「世界遺産に泊まる」ことが可能で、山里の恵みを楽しんだり囲炉裏端での会話を楽しんだりと貴重な経験が出来るそうです
過去には天皇陛下や秋篠宮殿下も泊られたことがあるのだとか
特に秋篠宮殿下はここ五箇山相倉をえらくお気に入りのようで
「世界で3箇所好きな所がありますが、その中の一つがこの五箇山なんですよ」とおっしゃられたことがあるそうです
写真の合掌造りちょっと小さめですが、家屋の特徴は、屋根だけの合掌造りで、合掌造り家屋の原型と言われている原始合掌造り「三郎」(旧岩本家)現倉庫です
「ナンマンダブツ建て」と呼ばれているそうです
最後は金沢大学セミナーハウス前のビューポイントから撮影して五箇山相倉集落を後にしますが
五箇山は源平合戦に敗れた平家が五箇山に落ち延び隠れ住んだ里だとも言わてきたという伝説があるそうです
史実として明らかではありませんが、五箇山は「落人のかくれ里」として知られているそうです
ただ民謡の宝庫と言われる五箇山ですが、そのうちの一つ「麦屋節」の歌詞には「波の屋島を遠くのがれ来て」、「烏帽子狩衣脱ぎうちすてて」、「心淋しや落ち行く道は」など落ち行く平家一門の姿を唄っているため、源平の合戦に敗北した平家一門が落ちのびて庄川上流の五箇山に隠れ住み、絶望的な生活から刀や弓矢を持つ手を鍬や鋤に持ち替え、麦や菜種を育て安住の地とし、在りし日の栄華を偲んで農耕の際に唄ったのが麦屋節の発祥と伝えられています
何だかこの秘境感と合わせ真実味がありますね
ということで15分くらいの滞在で五箇山相倉を後にし次の目的地「白川郷」を目指します
そう我が家の旅は目まぐるしいんです