昨年11月に没後150年を迎えた坂本龍馬
同じく昨年11月にち「エッ」と思えるニュースを目にいたしました
それが高校の歴史教科書から「坂本龍馬」が消えるかもしれないといったニュースでした
「歴史上の役割や意味が大きくない」との判断からとの事ですが、薩長同盟、大政奉還、五箇条の御誓文など、裏方として近代国家の誕生に果たした影響はあまりにも大きい
是非とも今の日本の歴史の基礎を作ったと思える人物なのでしっかりと語り継いでいってもらいたいものです
さてその坂本龍馬が京都で逗留していた旅籠
幕末の『寺田屋事件』で有名な京都にある観光名所『寺田屋』は黄桜からすぐ近くということで、歩いて伺うことに
坂本龍馬をはじめとした志士たちが定宿とした旅籠 寺田屋は残念ながら鳥羽伏見の戦(1868年)の際に罹災し焼失、今回伺った寺田屋は後に「寺田屋が建っていた跡」に再建されたものなんだとか
とはいえ幕末・維新などの歴史ファンには聖域ともいえる場所
格子戸を開け中に入り入館料400円を支払い見学させてもらいます
玄関では坂本龍馬や中岡慎太郎の写真が迎えてくれます
坂本龍馬が愛用した梅の間には
遭難直前に描かせたかけ塾の絵などが展示されています
そうそう高杉晋作から上海みやげに貰った拳銃
スミス&ウェッソンもありましたが、もちはこれはレプリカでしょう
でないと銃刀法違反ですしね
柱などに刀痕や弾痕が付いていて生々しいのですが
前述の話から憶測するに、これはきっと後の時代に作られたものなんでしょうね
この宿には京都の町屋らしく
坪庭がありました
夏の暑さ対策ではこれがあるのとないのでは全く違うのだとか
さて旅籠寺田屋といえばこの風呂桶
「坂本龍馬襲撃事件」では、その後結婚することとなる楢崎龍こと「お龍」が入浴中、捕方に気付いて裸のまま階段を駆け上がったと司馬遼太郎氏は「竜馬が行く」で謳っています
その時、実際にお龍が入浴していた風呂が現存してい・・・・・るわけはないでしょうから
これもおそらく単なるそれらしき物なのでしょう
ただたとえ明治時代に再建されたものとしても
ここを拠点に東奔西走した坂本龍馬を思い起こすには充分な建物であることに変わり有りません
さてこの旅籠寺田屋、なんと今でも泊まることができる維新の旅籠なんだそうです
こうして見学できることから察しても結構制約があるようですが、6500円で宿泊できるのだとか
そんな事が入館時にいただいたこのチラシやパンフレットに記載されていました
まぁここに泊まるのはちょっと遠慮しますが
さて冒頭の話にどりますが、高校の歴史教科書から消し去られようとする坂本龍馬
船中八策などは本当に坂本龍馬の考案なのかなどと揶揄される考察なども見られますが
京都東山幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」で先ほど確認したばかりの『薩長同盟盟約覚書』には坂本龍馬本人が裏書していたりもしました
なんだかその後飛躍的に発展を遂げることとなった日本の礎を築いた
明治維新の志士たちの思いを無きものとしたい
そんな人々がいる様に感じずにはいられません