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40年前のベトナム戦争の記録「戦争証跡博物館」其の一「報道写真」

さて話題が尽きてきたところでまたお盆休みに行ったベトナムのお話に戻ります

ベトナム戦争が終結した当時、私はまだ中学生
ニュースや新聞などでアメリカを巻き込んだ戦争になっているということは知っていたのでしょうが、戦争がリアルタイムで行われているといった事は記憶に残っていませんでした
記憶の片隅にのこっているのは新聞やTVで見た「ドクちゃん・ベトちゃん」くらいです
 

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20代の半ばあたりから、開高健著「輝ける闇」や近藤紘一著「妻の国に行った特派員(シリーズ)」などのベトナム戦争の本を読み始めたことで興味が生まれ始めたのを覚えています

そんな私がどうしても行きたかったのがホーチミンにある
「戦争証跡博物館」
旧アメリカ行政機関の建物内に作られた施設です
30年の時代を経てようやく訪れることができました
 

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各階にベトナム戦争の爪痕が保存・記録さていますが、まずは3階から
いかにも燃え盛る民家の前に立つ怖そうなアメリカ軍の兵隊
そうここ戦争証跡博物館はアメリカ軍が行った蛮行を展示する場所でもあるのです
 

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続いて見に行ったのが報道写真家による写真のコーナー
報道写真家の中で日本で最も有名な海外の写真家は何といっても「ロバート・キャパ」でしょう
この博物館にはキャパの生前の写真が飾られていますが、ここベトナムはキャパにとって最後の取材場所となったようです
説明書きには1954年5月25日北インドシナ・タイビン省で地雷を踏み死亡とあります
 

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さてこのベトナム戦争には日本からもロバート・キャパに憧れた写真家がここベトナムを訪れることになります
名の知れぬフリーランスの報道写真家もいたでしょうが、特に名が知れているのが、この沢田教一でしょう
1967年11月ダクトでの戦いを取材する沢田教一自身の写真がありました
3台のカメラを抱えていますが、「ニッコールオート135mmF3.5を付けたニコンFブラック」が見て取れますね
ただこのニコンこの時代、残念ながらまだ開発途上
故障も多かったようで、沢田自身もそう言って漏らすこともあったようです
もっともこうして当時高価だったカメラを極限まで酷使し、その不具合などがフィードバックされ
さらに同様な極限で試されたことにより、今のニコンやキャノンの絶対的な信頼が有るのかもしれません
 

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そこで問題なのがこの
ピュリッツァー賞を受賞した沢田教一の『安全への逃避』という写真
『ベトナムの戦火を逃れようと、幼い子らを伴って必死に川を泳ぎ渡る母子の姿をとらえた作品は衝撃的だった。撮影は1965年9月6日、ちょうど半世紀前である。(日経新聞2015年9月8日朝刊より)』

日本人としてはニコンで撮ってあるものという願望がありますが、これがニコンで撮影されたものなのかライカで撮影されたものなのか、今ではどうでもよいと思えるこんな話も当時の日本では重要だったようです
 

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写真の下にはアメリカ合衆国国防総省による従軍許可証?らしき写真も展示されていました
 

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ベツナムの従軍取材の話で沢田教一と双璧をなすのが一ノ瀬泰造
「うまく撮れたら、東京まで持って行きます。もし、うまく地雷を踏んだら、サヨウナラ!」と書かれた手紙を最後にカンボジアで消息を断った
その後、「地雷を踏んだらサヨウナラ」という題名で映画化されてファンも多いかと思います
 

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そんな彼が1972年10月アンロク付近の戦闘を取材中に被弾したカメラの写真がこの博物館に展示されていました
彼が愛用していたニコンFに弾丸が貫通しているが見て取れます
このカメラはベトナム戦争中に一時帰国の際、持ち帰っていたそうで遺品として残っているのだとか
ちなみにその説明書きのスポンサーはなぜかCANONだったりします
 

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この「戦争の恐怖」と題された写真も見たことのある方が多いのではないでしょうか
背中にひどい火傷を負いながら裸で逃げる9歳の少女が写っています
ちなみに写真の女の子「ファン・ティー・キム・フック」さん
戦後この写真がきっかけとなりベトナム政府の広告塔として政治的に利用されましたが、その後カナダに亡命し現在はカナダで暮らしているそうです
1997年には国連・ユネスコの親善大使となり、キム財団を設立して、戦争や紛争の犠牲になった子供たちの支援にあたっているそうです
 

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最後に悲惨な写真
「サイゴンでの処刑」
 

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何が悲惨かと言うとこの写真が公開されたことにより処刑した南ベトナム警察庁長官グエン・ゴク・ロアンには非難が集中します
エディ・アダムスもこの写真でピュリッツァー賞を受賞しますが、この場に居合わせこの写真を撮ったことを生涯後悔します
エディ・アダムスは雑誌タイムのインタビューで「ロアンは人を殺したが、この写真はロアンを殺した。カメラは最強の武器にもなる。真実を撮った写真もウソをつく、写真の50パーセントは真実で、残りの半分はウソだ。写真を見た人は一様にロアンを非情だと思うが、写真はそうは言っていない」といったのだとか
 


 

処刑されたベトコン兵士グエン・ヴァン・レムは多くの警察官や その家族を殺害した残忍非道なベトコン指揮官だったことが判っています
ウィキペディアには
「処刑の瞬間を撮影した写真は『サイゴンでの処刑』と題され世界各地に報道され、軍事裁判を行わずに路上で処刑を行ったロアンへ非難が集中した。しかし処刑された兵士は正規の軍人ではない上に、一般市民を虐殺したことが明確であった。 戦時国際法において、このベトコン兵士は戦争犯罪にあたるため処刑は合法だった」とあります
だから処刑してよいことにはならないと私自身は思いますが、こういった写真には必ず背景があることも忘れてはならないところです 
ちなみにロアンはベトナムからアメリカに亡命、その後アメリカの支援を受けレストランを開業するも過去を暴かれ廃業の憂き目にあったそうです 

「戦争証跡博物館」に展示されている写真なども同様
確かにアメリカのベトナム戦争での蛮行は許されるものではありませんが、ここに展示されているものはあくまで勝った側の立場の展示物にすぎません

その辺をバランスよく見ながら
其の二に続きます

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2015年11月28日 12:19に投稿されたエントリーのページです。

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